山手桜道の桜

山手桜道の桜
横浜桜の名所
明治初期に地蔵坂上から北方に通じる道に桜が植えられ名所となった。
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三溪園の桜

三溪園の桜
横浜桜の名所
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弘明寺の桜

弘明寺の桜
横浜桜の名所
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豊顕寺の桜

豊顕寺の桜
横浜桜の名所
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横浜公園の桜

横浜公園の桜
横浜桜の名所
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掃部山の桜

掃部山の桜
横浜桜の名所
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伊勢山の桜

伊勢山の桜
横浜桜の名所
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豊顕寺 青木町三澤

豊顕寺
神奈川青木町三澤2395番地
法華宗本成寺の末寺、小田原北条氏の配下の多米元興が永正12年(1515)三河の国、多米村に本顕寺を創建。後に領有した三ツ沢の地に本顕寺を移し豊顕寺と改称した。
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「天文五年多米元興の創建なり。日蓮宗にして享保九年十三世日理と申す僧。此所に宗門の學林を開き法華道場となす。圓頂黑衣の生徒を育成せし事無數。境内千四百餘坪數棟二百三十坪の堂舎有り。寺中櫻樹の老幹數萬本有りて花時市民行樂の場となる。」横浜商業遊覧案内

「法照山豊顕寺は法華宗の古刹にして古来より檀林たり、境内幽邃にして塵寰を絶し、全山櫻樹多く、花時は遊觀の士女群をなし、釋尊降誕會を執行するを以て、殊更ら熱鬧を極む、横濱成功名誉鑑

東海鉛管 神奈川町

東海鉛管
鉛管・鉛線・鉛錫板・錫箔
神奈川町字富家町1190番地
東海鉛管株式会社は明治44年(1911)神奈川町新町に設立、大正7年(1918)神奈川町字富家町に新工場を竣工した
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山手居留地

山手居留地
山手居留地より南側本牧方面海を望む、ワシン坂方面
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山手居留地

山手居留地
山手居留地より横浜港を望む、左手奥がイギリス海軍病院、港の見える丘公園あたりか
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「横浜外国人居留地」によると241番地からの撮影

鶴見駅

鶴見停車場
鶴見
明治5年(1872)5月15日に開業した
開業当初は東口だけだったので、手前横浜側から品川方面を望んだ景色か
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貞喜丸汽船太田回漕店 港町

貞喜丸汽船 太田回漕店
港町5丁目26番地
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「横浜横須賀間の定期航路を為し旅客貨物の輸送を為しつつありしこと竝に二十年然るに大正二年振込資本金貳万五千円を以て株式組織として漸く一年になるに積立金四百円を有し年一割を配当せり社長は太田平次郎氏外取締役監査役二人なり。」現代之横浜

太田回漕店 太田貞一「君は江戸の人太田平次郎氏の長男にして、天保四年十一月を以て生る、家督を三男貞次郎氏に譲りて、前名貞次郎を今の名に改め回漕業を營む、横須賀通ひ貞喜丸は其便利にして輕快なるは人の認むる處、兩横間交通の機關として貢献する所多大なり、君叉別に太田鐵工所を有し、船舶及び諸機械の修繕及製造に從事す、横濱中央銀行及横濱中央貯蓄銀行の取締役として令名あり、」横濱成功名誉鑑

瀬谷銀行 鎌倉郡瀬谷村

瀬谷銀行
鎌倉郡瀬谷村瀬谷6547番地
瀬谷村の小島政五郎を中心に明治40年5月23日設立、本店は小島邸に置かれた
小島政五郎は相模鉄道の初代社長
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解析 大観艦式当日の横浜町会所の時計

キャプションに大観艦式当日横浜本町通の真景とある
観艦式は明治38年(1905)と大正元年(1912)に開催されている
さてどちらであろうか

下の写真を見ていただきたい
これは日露戦争の勝利を祝う景色
おそらく明治37年(1904)9月5日の遼陽占領を祝う光景であろう

2つの写真の雰囲気は近いので、明治38年(1905)の観艦式が有力か

ただ、もう一度写真をよく見てほしい、
横浜会館の時計が無いことに気づいただろうか
横浜会館は明治39年(1906)に焼失しているので
明治39年の焼失で時計が無くなった後の大正元年の観艦式ではないだろうか


整理すると下記のようになる
明治37年(1904)9月5日 遼陽占領
明治38年(1905)10月23日 大観艦式
明治39年(1906)12月 横浜会館焼失
大正元年(1912)11月12日 大観艦式

時系列を整理すると大正元年の観艦式なのだが
ただ、どう見ても写真の雰囲気は明治38年の観艦式と思うのだが
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南北石油横浜製油所 保土ケ谷町

 南北石油横浜製油所
保土ケ谷町字岩間
明治39年(1906)に設立。カリフォルニアのサンタマリヤ油田と新潟新津を原油供給地として平沼に貯油所、保土ケ谷に製油所を設けたが、供給先のカリフォルニアの会社がスタンダード石油に買収され 輸入が困難に。明治41年(1908)宝田石油に吸収合併された。
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明治38年     南北石油は大倉組の北海道石油組合と浅野総一郎の台湾石油組合および林忠正の青森県下の鉱区を合併吸収して設立された企業である(横浜市史)
明治39年5月7日 南北石油設立
明治39年8月   東西石油設立(浅野総一郎、大倉喜八郎)外国原油の輸入精製を目的とする東西石油を設立、カリフォルニアで採油しているグラシオサ石油会社ほか2社と原油供給の契約を結び、保土ケ谷に精製工場を設ける計画であった。設立一ヶ月後、同じ資本系統の南北石油会社に合併(横浜市史)
明治39年9月   東西石油会社は南北石油会社に合併(横浜市史)
明治39年12月  東西石油会社解散、あらたに資本金1,500,000円で南北石油会社をおこした。この会社はアメリカから原料を輸入、石油を精製した。工場は平沼・程ヶ谷の間にあつたが、河川に流出する石油が海魚・海草の発生をさまたげるため付近住民が工場移転運動をおこした(横浜歴史年表)
明治41年5月   保土ケ谷精製工場、平沼貯油所竣工(カリフォルニアの3社がスタンダード石油に買収され供給が困難に)(横浜市史)
明治41年9月   南北石油は宝田石油に合併(横浜市史)



横浜市療養院 保土ヶ谷町

神奈川県社会事業要覧
横浜市療養院
結核療養所
保土ヶ谷町岩間1771番地
大正9年9月28日開院
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富岡海岸 金沢

富岡海岸
富岡八幡宮 宮の前海岸
明治初期より居留地民の海水浴場として賑わった
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